レンの道   (文章:管理オーバル魔ペットJoya)     ファルコムのゲーム・英雄伝説『空の軌跡』シリーズのバレを含みますのでご注意ください。   特に、今回は『零の軌跡』プレイ後の感想をまとめたものなので、『零の軌跡』の大きなバレがあります。 2011.2.6    @ 怒りの中で
 『空の軌跡』SCおよび3rdで、レンの両親は最低の人間として描かれました。  「生活苦から逃れるため、娘をいかがわしい組織に身売りした非道い親」として。  だから、ずっと怒りの対象でした。とんでもない親だ、殴れるものならこの手で殴りたい。ずっとそう思っていました。  『零の軌跡』で最初にレンの父親が出てきた時の感情              ↓   ハロルド・ヘイワース。こいつだ。まちがいない。俺はこいつを許さない。画面越しだが殴りたい。   こいつが出てきた瞬間、体の中に何かイヤな泡のようなものがブツブツと湧いてくるのが感じられた。   手が震えた。頭に冷たい血が上ってきた。冷たいのに沸騰しそうだった。   腹の底から発生する怒りだ。眠気も惰性もふきとんだ。   俺の目的は飽くまで俺のレン様に出会うことだが、もうひとつできた気がする。   この男を、そしてこの男と共にしゃあしゃあと生きているあの女を、どうにかして懲らしめてやりたい。   こやつらが今、のほほんと平和ヅラ・善人ヅラして生きてられるのは、「許された」からだ。   自分たちが不幸のどん底に陥れた実の娘に滅されてもおかしくなかったのに、許してもらったのだ。   俺は許せない。断じてこやつらを許せない。俺がかわりに滅したい。  『空の軌跡the3rd』の「星の扉15」によると、レンは執行者になった後、この両親を街で見かけたことがあります。  その時、この両親は、新たに生まれた男の赤子を抱きながら、  「前の子はあんなことになってしまったが神様は私たちを見はなさなかった」などと言っていたのです。  その声が聞こえてしまったレンは、「あんなことになってしまった」という言葉に衝撃を受けます。   …自分は、もうあの無垢な赤子のように、普通に愛され、普通に愛し、普通に幸せを得ることはできない。   …自分は、生まれてきてはいけなかった存在なのではないか?  そうして心が闇に沈みそうになった時、レーヴェが傍らに来てそっと肩を抱きます。  そしてレーヴェは「あの者たちを始末するのも自由(斬る価値も無いが)」という意味のことを言います。  しかしレンはそこで、「にせものに興味は無い」と言い、レーヴェに笑顔まで見せたのです。  レンは、この親たちを「にせもの」と思うことで、ずたずたになりそうな自分の心をどうにか守りました。  同時に、その家族が自分の関係ない場所で勝手に幸せに生きていることを「許した」のだと思います。  許さないこともできた。糾弾することもできた。なぜ自分を利用して捨てたのか問いただし懺悔させることもできた。  けれどもレンはそれをしなかった。これ以上何も知りたくない、もしも余計に悲しい何かが更に分かってしまったら…  それ以上傷つきたくないという、本能的な防御だった(それは『零の軌跡』でヨシュアが語っていました)。  悲しく、涙ぐましく、どうにか、どうにかレンを幸せにしてあげたいと思わせる描写でした。  「あんなことになってしまった」とは何だ! きさまらが「そうした」のだろう! 人のせいにするな! 無神経め!  私はレンの両親に対して以上のような認識でしたから、本当に画面を見ながら叫び出すほどの怒りを感じていました。  『零の軌跡』でどんな複雑な事情とか言い訳が出てこようと許すつもりはない。そう思っていました。  特に父ハロルドは、やたら「いい人」として登場してきたので、余計に頭にきました。  この男の善人づらの化けの皮をはがして、情けない卑小な悪党だということを世間に知らしめたい。  この時点でレンはまだ登場していませんでした。  しかし、この両親が出てくるということは、必ず登場するだろうと予想できました。  ただ、この両親とはかかわってほしくない、と思いました。  出会ってしまえば、レンはまたショックを受けてしまう。  しかも今度は、そのショックを和らげる人物が傍らにいない。  独りで旅をしているレンは、凍って砕けそうな心を自分だけで守っている。  優しき巨大兵器・パテル=マテルはいても、人間ではない。  そんな支えのない状態でまたあの「親ども」を見かけてしまったら、レンの心は…  エステルたちがこの両親を先に見つけたなら、即刻滅ぼしておいてほしいとまで思いました。  せめてヨシュアと2人で両側からグーで思い切り音高く殴ってほしいと。  なにせこの父ハロルドは、自分の娘を不幸のどん底に置いてきたことを忘れ、のうのうと幸福を貪っている。  いや、忘れてはいないようだ。それをほのめかすセリフもあった。  それは「私たちは幸せでなければなりませんから」というもの。  レンのことを全く知らない主人公たちにとっては謎のセリフでした。同時に、私にとっても、すごく謎でした。  幸せでなければならない、とは、どういうことか?  自分の娘がもう生きていないと思っているということだろうか?  そう考えるのが妥当。まだ生きていると分かっているなら、出てきていいセリフではない。  ただ、生きていないと思っているとしても、腹立たしい。  レンを「自分たちの幸せのために犠牲になった娘」だと言っているように感じてしまうからだ。  だから、自分たちが幸せでなければ申し訳ない、か。勝手な言い分だ。  自分勝手な、あまりにも自分の側からしか考えてない言葉に思える。  自分たちが今、幸せであることへの言い訳。正当化。自己防衛。そうとしか感じられない。  正直…この両親と「何も知らずにぬくぬく生きる弟」が幸せだろうが不幸だろうが、どっちでもいい。  「幸せでなければならない」のは、レンのほう。  この時点では、両親が許される余地はゼロだと思っていました。  この話の展開が、あの両親のもとにレンちゃんを戻すような話の展開だったら、最悪だと思っていました。  血のつながりなど重要ではない。重要なのはレンちゃんを幸せにできる繋がりだけ。  そして今レンちゃんを幸せにできる可能性を最も強く持っているのは、エステルとヨシュア。  だから彼らに頑張ってもらうしかない!  ろくでもない生みの親が、レンに「戻ってきてくれ」などと言う権利は、ぜっっったいに無い!  この感情が大きく変わっていくのは、レンの弟…コリンが行方不明になる事件の時でした。  

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