レンの道   (文章:管理オーバル魔ペットJoya)     ファルコムのゲーム・英雄伝説『空の軌跡』シリーズのバレを含みますのでご注意ください。                              2010.8.20 2011.6.19 6.29 加筆 2012.2.25 修正    2 受け止める側の問題
 『空の軌跡the3rd』でレンのあまりにも過酷な過去が描かれていることについて、「受け止める側の問題」と前述しました。  実際、PSP版では、エピソードの中の最も過酷な部分が省略されています。  パソコン版よりも低い年齢層が購入することが多いだろうから、という配慮だったと考えられています。  幼い頃に過酷な運命に晒された人物が登場するというのは、テレビのサスペンスや小説、映画などで何度か目にしました。  ただ、子どもは、そういったものを積極的に見たり読んだりしないだろうと。  『空の軌跡』はゲームだから、子どもが積極的に購入して、そのエピソードを見る機会も多いだろうと。  そういった配慮から、省略されたのでしょうから、仕方ないとは思います。  私は、この省略については、半分反対、半分賛成です。  反対というのは、この世に存在する人間の闇から「目を逸らす」のを教えることだけが正しい道ではないと考えるためです。  賛成というのは、考えの浅い人々が、このゲームを格好の的として問題作扱いを始める機会が増えることを恐れるためです。  受け止める側の年齢について考えてみます。年齢が低い場合、あまりに衝撃的な内容を受け止めきれないだろうという予想。  確かにそうです。または精神が成熟していないと歪んだ受け止め方をするかもしれないという見方もあるかもしれません。  ただ私は、単純に受け手の年齢の問題だけではないと思っています。  たとえ受け手の年齢が高くなっても、受け止めきれない、目を背けるという人もいると思います。  ただそういった個人差を考慮しての制限はできないので、単純に年齢制限をかけるしかないのでしょう。  あるいはこの作品のように、衝撃的と思われる部分を事前に省略するか。  ここで年齢制限ということについて考えてみます。  例えばthe3rdパソコン版のまま、何も省略せずにPSP版が出されたとしたら、年齢制限がかかっていたでしょうか?  さきほどテレビや映画や小説でも、過酷な話は出てくると書きました。それは年齢制限が設けられてはいません。  テレビや映画は映像もありますが、ぼかした表現になっているでしょうし、小説なら文章だけです。  なにより、話の中で重要だからこそ語られるのであり、制限がかけられるような内容ではないでしょう。  それらと同じだと思いますから、パソコン版のままでも制限をかける必要はないと、個人的には思います。  制限が設けられているのは、直接、ひどい場面を強調して描くような作品でしょう。  人を破壊するような描写の暴力表現のひどいもの、明らかに性的で卑猥な描写などです。  the3rdの「星の扉15」に描かれるレンのエピソードは、そのようなものではありません。  直接的な暴力シーンなどを描いているのではなく、もっと心の奥にズシリとくる、痛ましいと感じる内容です。    私は、このような、受け止める側の心に深く響くようなエピソードこそ、多くの人に考えてほしいと感じます。  それなのに、年齢層への配慮や、問題視への警戒から省略されるのは残念なことです。  これが省略されるのに、テレビで卑猥な場面(会話)を何の配慮もなく垂れ流し、ひどい暴力表現の本も平気で売られ。  表紙からして大人向けの雑誌の数々が、コンビニのよく見える棚に堂々と並ぶ世の中です。  レンのエピソードのような、考えるのが難しい、人の世の闇についての問題からは目をそらすことを教え…  テレビで垂れ流され、コンビニの棚に並ぶような単純な暴力や性的表現は積極的に見て慣れろ、とでもいうのでしょうか。  問題視する順番が明らかに違います。人間の道徳心を低下させているのは、こういう「考え無しな世の中」だと思います。  省略について語ってきましたが、PSP版の内容でも、レンを襲ったのがひどく過酷な運命であったことは伝わります。  子どもがこのシーンに触れたとして、今は意味がよく分からなくても…  成長してから分かるようになり、世界の闇、人間の世の許せない問題について考えるようになる。  それでいいのではないかと。子どもに見せたくない話だ、などと言う人に、ちゃんとした教育が出来るのか疑わしい。  「こんなことは考えなくていい」と、子どもの目も耳も塞ぐようなことをする、浅はかな親になるのが関の山です。  いくらでも説明の仕方はあるし、それで終わらず、成長したらまた別の言葉で教えてやればいいでしょう。  レンの受けた痛みを少しでも感じ、心を抉られる感覚を覚え、ぶつけどころの無い怒りを感じることができたならば…  このエピソードを作った人の意図は充分に理解できたと言えると思います。  このような感情は、どこから来るのでしょうか。  教えてやればいい、と書きましたが、自分自身はこのようなことを教えてもらった記憶はありません。  学校では、勿論そんなことを描く授業はありませんでした。  いったいどこで、いつ、このようなことに悲しみや怒りを感じることを覚えたのか。  親からもそんな話は聞いたことがありません…いや、知らないうちに教わっていたのでしょうか?  様々な小説を読み、マンガを読み、世の中を知る中で、知らず知らず形作られてきた魂なのでしょうか。  とにかくレンのエピソードに「痛み」を感じる自分を形成してくれた何ものかには感謝します。  衝撃は強かったです。パソコン版で初めて「星の扉15」を開き、その内容を見た時、唸ったまま、長時間黙りました。  これは、あまりにもひどい…可哀想すぎるだろう、と思いましたが…目を逸らさず向き合わねば、とも思いました。  これがレンの物語なのだから。見てしまった人が「見たくなかった」「考えられない」と言ったらレンに失礼だ。  これがレンの物語なのだから、描くべきでなかったとか、ぼかすべきだとか、そんなふうに考えてはいけない。  全ては、受け止める側が何を思うか。何を感じ、何を考えるか。そういう問題なのだと。  私はこのエピソードを見て、改めてレンに対する思いが深まり、よりいっそう好きになりました。  人の世の闇に苛まれても、それを乗り越えて生きる姿。天才でありながら無邪気で純粋で…「家族」を知らない少女。  もはやこれは、キャラクターのファンという域を超えた、敬愛と思慕と憧憬の念かも知れません。    だから、「描くべきでなかった」「ぼかしておいてほしかった」と言う人の気持ちは、想像は出来ますが…同意は出来ません。  闇が深くて、心の許容範囲を超えているから? 真剣に考えたくない事だから? 自分には関係ないから?  どれであっても、それは、どうしても「逃げ」ではないのだろうか、という思いしか浮かばないのです。  もしも自分がエステル達の中の誰かで、星の扉15の内容をてしまったた時、「見たくなかった」と言うでしょうか?  それと同じことのように思うのです。  (星の扉はレンの心にだけ蘇っているのであって、他の人には見えてない設定だとは思いますが。)  例えば見た目と雰囲気で好きになったキャラクターなのに、こんな過酷で可哀想な運命を背負わせるシナリオが許せない!  常に胸が締め付けられるようで、耐えられない。 …ということならば、そういう気持ちは、分かります。   または… このような深い事情とかそんなの関係ない、こんな悲惨なことを知らされたから好きなわけじゃない。  過去なんか知らなくても、自分はレンが好きだ。 …そんな気持ちも、分かります。  レン本人だって、そこまで詳しく知られたくないはずだ。 …これも、分かります。  でも、知った以上は。目を背けず、しっかり目を開いて、受け止め、真剣に考えることができるどうか。  たくさんの「痛み」に苛まれたレンの過去。それを受け止める側も、様々な「痛み」を感じ、知り、耐えて…  そして自分ならレンにどう接するか、どう接していきたいかを、深く深く、考えることが大切だと思います。

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